2017年7月30日日曜日

しんどい魔の一日

今回弾丸でお義母さんの葬式に出席した。

”弾丸”なんて・・もう するべきではない!! と シカ!!と肝に命じたのだった・・。

朝2時には起きて・・つまりほとんど寝てない・・で シャトルバスで空港へ。 そして約4時間でメルボルン。

それから レンタカーの手続き・・やっとこさ~出発! 北へ400km走るのだ・・。 が・・そうは簡単には問屋は降ろさない・・。

なんせ急なもんで・・グーグルのナビゲーターをローミングして貰うべく自分のプロバイダーに頼んで無い。・・5分から4時間はローミング開始にかかると言う・・。

いやいや・・いまから ナビが必要なのに・・。 いくら頑張った所で・・ローミングが始まるのはいつだか解らんのでは困るのだ! 

って事で 地図を買おうとするが・・そんなもん今の時代には売って無い。 レンタカーで ナビを15ドルでつけてやる・・と言うが・・いやいや・・そんなもんにお金なんか使いたくない・・だって・・ローミングが始まれば 要らないんだから・・。

それが間違っていたのだ・・絶対に! 頑固としてローミングは始まらない。 結局キッチリ4時間後にローミングは始まったのだ・・。 

こうなったら・・勘と・・道表示でしゅっぱ~~つ。

だが・・こっちだ! と私が言ってるのに・・夫は 「ち!違う!! こっちではない!」 と 100kmでぶっとばしている高速で言うので 分岐をやりすごす・・。

が・・結局 100kmでぶっとばしているイコール・・違う所に突進したのだ・・。

で・・地道に降りて・・人に道をききつつ・・やっと ちゃんとした方向にノロノロと進みだす・・。

が・・酔い止めの薬が効いてきて・・もうろうとして ハイウェイでの運転は無理・・昼寝する事に・・。

1時間後・・やっと運転開始。 ちょっと頭がすっきりしたので・・先を急がねば・・と 急いていると・・赤と青の光が 私の後方でチカチカ・・。

ひぇ~~!! 

急いでいるのに・・。 葬式なんだよ~~・・と 悲し気にお巡りさんに言ってみるが・・ 
「130kmで・・それもこんなにチッコイ車でぶっとばして・・カンガルーにでもぶつかってみぃ~?! 全てが木っ端みじんで なぁ~んも跡形もなく消えるよ!」

おぉ~! 恐! そう言われるとそうかも・・? とシュンとなって 350ドルの違反切符を受け取った・・。

それからは なんだか知らんけど・・とんでもなく チンタラと進んで・・結局 5時間あれば着くだろう・・と思ってたのが・・10時間かかって辿りついたのだ・・。

2017年7月26日水曜日

然君

生まれて一日しか経ってないのに・・ちゃんと視線がある・・。
そして 私に何かを言っているような・・何かを考えているような・・。

ずっしりと私の腕に重みが来て・・暖かい体温が伝わって来ると・・私の息子が産まれて・・初めて自分の腕に抱いた瞬間がよみがえる。

同じなのだ・・この暖かい重みが腕に伝わる感触が・・。

そして 自分の息子が腕に来た時は その瞬間から 涙がポロポロと産着に落ちたのを思い出す。
後から・・後から・・涙がポタポタ落ちた・・。
あの幸せの瞬間が 又 40年後の今 フラッシュバックした・・。

11年間もの間に・・何回もの不妊治療体外受精を繰り返し・・その都度 絶望のどん底に落ちた 息子と嫁。

それでもあきらめずに治療を続けた・・。

そして二人ともが40歳を超え・・もう ここまでやったから 無理だろう・・と言う諦め気分の最後の最後の治療で・・この 然君がやって来た。

奇跡の誕生なのだ。

抱いていても あまりにも大切なこの赤子は・・怖い程。
嫁に赤子を戻した時は ほぉ~~!!っと安堵した。

2017年7月19日水曜日

フライトキャンセル

又もやシドニー空港
昨夜はフライトがキャンセルで 強制的ホテル送り、強制的翌朝の便。

朝四時起き。と言ってもすべてが予想外で 全てが強制的の感。

目がしょぼしょぼで痛い。
永遠にクライストチャーチに着かない様な気がしてきた。

カンタスは一回も落ちた事が無いというのは こういう事だからなのだろう・・。
少しの故障でも飛ばない・・。

乗客全員をホテルに泊めるべく やれ タクシー往復バウチャーだの・・ホテルの手配だの・・ 大勢のカンタススタッフが辛抱強く・・それでも笑顔で対応していた。

空港から出る時・・我等を 出国手続きの方へ案内した カンタススタッフは 「二人の小さい子供が家で待ってるの・・早く帰らなくっちゃならないんだけど・・ね・・」と辛そうだった・・。


2017年7月18日火曜日

私のフライトはいつ飛び立つのか...

飛行機の故障で足止め。
20ドルのバウチャーを貰って ラウンジに逆もどり。
飯を食っている。
飛び立つ見通しはまだついていない。

長い日本滞在終わる・・・


夜間飛行はまるで地獄・・・まるで拷問・・
ほんの少しのスペースで 寝ようとするわけだから・・体をちぢこませて 一晩じゅう小さいスペースでのたうち回る・・。
一睡もできなかった・・と 眩しい窓を開けると・・。

回りはみんな朝食を食った後の様子・・CAが 朝食の後始末をしていた・・。
あたしゃ~ 朝食なんぞ貰ってないけど・・?

爆睡してたから貰えなかったのだろう・・。

一睡もできなかった訳ではなさそうだ・・。

シドニー空港は東京のビンビカぶりで・・私の一番苦手とする分野・・。
トイレには こんな見たことのないドアが・・。
なんの事はない 普通の身障者用のトイレだった・・。

洗面所にある鏡に こんなサインが・・。
なんだろう・・・ と考えたが・・全然わからず・・。

そして このコーヒーを逆さにしたマークも鏡にある・・??

誰かが この下で手を乾かしていて・・ドライヤーだと言うのがやっとわかる・・。 

と言う事は 前の写真のマークは石鹸が出て来る所なのか~~!
なんせ ちっこいから解らないのだ・・。

それに鏡に張り付けてあって・・鏡の向こう側にそういう装置があるなんて! 誰もわからんし! 
なんせ 見えてないんだから・・。

老人になって来た今日この頃・・そういうのが すごく分かりにくくなって来た・・。

日本のトイレも ま~! 色んな画期的なしかけがしてある・・。
あるときは どこが水を流すのがわからなくて・・トイレから出られなくなった・・。
だって トイレを流さないででるなんて! すぐ後に入る人からどう思われるだろう・・!

絶対にトイレは流してからでる! と決心して・・えらい長い時間かかって水を流す所発見!

このトイレをデザインした人を相当恨んだ・・。

かっこよいつもりで ドンドン簡素化したデザインにするのだろうが・・ そういうのは 徐々に・・みんなに浸透するように・・つまり・・誰もが すぐわかるようにデザインしてほしい物だ・・。

それに全国・全世界統一した”しかけ”にしてほしい・・。
ものすごい雑多な多くの種類の仕掛けをしてくれると まるで パズルの用で・・いちいち用を足すのに パズル解きをしている気分になるのだ・・。

すべて ”自動” とか ”センサー” で作動ってのは すごく不便!

自分でちゃんと動かして 動かした手応えがあってやっと動いてほしい・・。


2017年7月16日日曜日

別所沼公園

友人宅のすぐ近くにこの ”別所沼公園”がある・・。
その日も朝4時に起き上がって・・公園を歩く・・。
早朝ならさわやかかな・・・ と期待して 家のドアを開けるが・・すでにムッとしている・・。

酷暑の夏なのだ・・。
でも・・やはり・・公園は公園・・大きな木々は気分をよくしてくれる・・。

池の淵には たくさんの釣り人が釣糸を垂れている・・。
みんな あまりつれてる様子でもない・・。

それに釣れても すぐ池に戻しているようだ・・。
ただただ 釣る事だけを楽しんで居るような・・。

釣るのも楽しんでいない人も 時々いる・・。
家にいたら 奥さんに色々言われるから それから逃れる為だけに この池に日がな座り込んでいるじいさんもいる・・。

でも 今日は はじめて 鯉の姿を見た!
それも 30cm以上のでっかい鯉なのだ!

それも ウヨウヨと私の足元によって来るから すごい!
たぶん だれかが餌さを定期的にあげているので その足音で寄ってくるのだろう・・。

でも 釣り人達は一切 こんなばかでかい鯉は釣ってはいない・・。

鯉を釣るのは禁止されているのだろうか・・?

2017年7月14日金曜日

60年ぶりの再会

今は立派な陶芸家になっている幼友達の 直ちゃん。
今度の再会で なぜに私達は ただの幼友達ではなかったのか・・?の 謎が解けた様な気がした・・。

お互いの家は2件続きの一つの家だった。
私と彼はいつも まるで 犬猫の子供の様にみつどもえになって遊んでいた。
いつでも一緒だった。

どっちの家が自分の家か解らない程・・寝るのも食べるのも・・どっちでも同じ様な感じで一緒に過ごしていた・・。

二軒続きの家の押し入れには子供が行き来できる穴もこしらえられていた。
もちろん! 子供がこしらえた行き来の通路。 だがそれがふさがれる事もなかった。

今を思えば・・私の両親も・・彼の両親も子供の毎日の行動に目が届く程のゆとりも持てない程の問題を抱えていた・・。
どう考えても私達の両親は辛い・・重い悩みをたくさんに抱えての時代だったに違いない。

だからこそ我等隣同士の子供達は一丸となって助け合ってたのかも知れない。

でも我等はそんな重い事なぞ・・その時は何もなく 無邪気に毎日毎日飽きもせず遊んでいた様な気がする。

自然に助け合っていたのだろう・・。

直ちゃんと私

直ちゃんのその時の目は 今も全く同じ目をしている。
そしてハシッコイ動きは 昔のまま・・。

いつも モサッとしていた 私・・。
今も モサッとしている・・。

2017年7月13日木曜日

Kiwihosueの昔の一コマ

25年ぶりのKiwihouse卒業生と会う。
まだまだ Kiwihouseは ヨチヨチ歩きの頃・・Kiwihouseは色んな人が集まって来ていた・・。

と言う事は お客さんと言うより・・Kiwihouseが好きで集まって来ている人もたくさんいた。

その中の一人がTaku(左側)まだ 大学を出たばかり・・あの頃 まだまだ クライストチャーチは観光地でもなければ 知名度も無い時代。
クライストチャーチと言っても ニュージーランドと言っても 誰も知らない地名。
そんな所に一年も ワーホリで ニュージーランドをバイクで走り回っていた若者だった。

右のKayoちゃんは 私の Kiwihosueのお客さん第一号の人のお友達。

上の写真は その27年前の頃の まだ お互いがKiwihouseで出くわしたというだけの間柄。
そして 下の写真は今現在、二人とも立派な大人になっている。
立派な妻であり夫であり・・そして父であり母になっている。

私とEikoさんを 駅で出迎えてくれた 立派な中年おっさんは 昔と全く変わってなくて・・青年の笑顔で出迎えてくれた。
そして 彼の家族全員が歓迎してくれて・・一緒にごちそうを食べて・・不思議な気分のまま・・過ぎた時を感じさせない感激に酔いしれた・・。

それでも 短い楽しいひと時は瞬く間に終わり・・・ お互いの生活・・今現在の 現実の生活に戻って行った・・。

ありがとう!
私の人生の一コマを またもや再現してくれて・・感動のひととき・・感謝の言葉もありません・・。

2017年7月12日水曜日

Utenaちゃん





もう何年前だろうか・・?
Utenaちゃんは Kiwihouseのレセプショニストとして働いてくれていた。
彼女はニュージーランドの高校を出て・・その後 ワーホリで又 ニュージーランドを訪れた・・。
そして ワーホリで何をしようか・・? と模索している内に Kiwihouseを見つけて・・働く事になった。

最初はお掃除として入ったのだが・・英語を現地の若者的にしゃべるなんか不思議な日本人。

そして一年間 彼女は私のKiwihouseのポリシーをがっちりと学び・・遂行する。
と言う事は 日本的客商売では無く・・お客とも対等に接する・・と言うのを完全に取得。

とても失礼な客の態度には 敢然として立ち向かう!と言う Kiwihouseのポリシーに徹する。

そして ”ミニNoriko"と言う愛称までついた。

ワーホリのビザが切れる時には 本物Norikoと ミニNorikoは泣く泣く別れる事になる・・。

そして 日本に戻っても 外国人相手のバーで働くに・・客との喧嘩は堂々とやってのけたという。 客と喧嘩が出来ないと 外国人相手の客商売は不可能なのだ。
接客をする人も人間なのだ。 奴隷でもなければ卑屈になる必要もないのだ。

人間は皆平等なのだ!

我慢は絶対にするな! と言うのが 私の教え・・。

そして 彼女は 日本での仕事に終止符を打ち・・今度は未知の世界に羽ばたこうとしている。
不安いっぱい! と仕切りに言ってたUtenaちゃん。

あなたなら 世界中どこに行っても 沢山の人達から愛され 堂々と生きて行ける力を持っています。

自信を持って羽ばたいてくださいね~~❤

2017年7月4日火曜日

母に会いに・・

92歳の母は 介護施設に入ってから グン! と元気になった・・。
やはり 90歳まで一人暮らしをしていたので 疲れたのだろう・・。
それになんの刺激も無い生活で ドンドンと脳みそも刺激の無い物だった。

介護施設に入ってから 介護度も無くなり ”要支援”に移った。
つまり介護は不要になり・・自立できた事になる。

彼女が一人暮らしをしている時に 私は一か月ミッチリとついて一緒に暮らした時期があった・・。

その時は 彼女はまだ”御華の教師”をしている・・と言う自覚があったけど・・下着のまま 髪の毛はボサボサのまま お弟子さんを迎えたりもした・・。

そして お花屋さんに 前もって注文しておかなければいけないのに・・お弟子さんが来てから電話でお店の人に怒鳴っていた事もあった。

その怒りの理由が・・”お弟子さんがもう来てるのにお花の配達が無いなんて!!” と言うのだ・・。

自分は下着のまま ボサボサの頭のまま・・そして お花の予約・配達もお願いして無いのに・・。

そして こんな事もあった・・。
私に着いて出かけたい・・と自分で言っておきながら・・出かけの支度の間に寝始める・・私が「出かけないの?」と言うと・・「どこ行くの?」と言う。

やっと 出かける準備もできて・・車に乗りこむと・・「どこ行くの?」と言う。
今まで 10回ぐらい行く場所を言い続けている私は もう開いた口がふさがらない・・。

そんなこんなで私はだいぶ前から これは一人で放って置くのはとても危険! と言う感は十分あった。

と言う事で 回りの反対を押し切って・・強行に介護施設に入って貰うべく行動した。

結果 とてもいい状態なので・・私としては とても安心している・・。

野々湯温泉

霧島温泉の向こう側の山の山の 又 山奥へ進むと・・野々湯温泉がある。
細い山道・・それもOneWayなので・・前から車が来たら大変なのだ・・。

だからノロノロと進む・・。
それに 急な山道なので・・オートマの車だけど・・セカンドとか ローギアに入れて進まないと エンジンが焼き入れそうになる・・。

ひぇ~~!! 鹿がこっちを見てる! 道路の脇に・・鹿さんが”あんた誰?!” 的な目でこっちを見つめているではないか!

と・・その向こうにも鹿さんが・・。
どっちかと言うと 人間の場所ではなく・・ここは 鹿さんの場所・・的であるから・・ ”あなたの場所に道路作った我等人間が間違いです・・” と謝りたくなる程の山奥・・。

行けども・・行けども・・ほんとにこんな所に宿があるのかぁ~~? と思われる程遠かった・・。

外に建っている共同トイレ。
まるで侍の時期に建ったのか・・・ と思われるほど・・。
”厠”と書いてあるから 誰もトイレとは気がつくまい・・。

と思いきや・・外国人も読める横文字も入っていた・・。

温泉に続く廊下・・。
そんなに簡単には温泉には辿りつかないのだ・・。

温泉の小屋は全部 この山から切り出された材木で作られたとか・・。
何から何まで 木で作られていた・・。

温泉に入る 入口にはすでに ”かけ湯”の場所が作られていた・・。
とりあえずここで 湯をかかって・・体を清めてから温泉に行くのだ・・。
ってか このお湯もすでに温泉なんだけど・・。

中の温泉から 外の温泉に続く道は 岩で作られている・・。なんか迷路の様に岩が組み立てられているのだ・・。 
外は 中からガラズ窓を経て光が漏れているだけ・・。



内湯の場所に 板の屋根が作られている。なんか その辺に湧いた温泉に屋根がついているって感じなのだ・・。

内湯の上には リラックス場所が作ってあった・・。
外からの風が冷たいので・・とても気持ちがいい。
今は夏だけど・・冬は 全てが凍結する程冷えるのだそうな・・。
吸収でも まるで 北海道の様な気候になるこの山奥

ここは色んな所に こんな廊下がある・・。 廊下と言うより 雨にぬれないで・・アチコチ移動できる道路って感じなのだ・・。

ひなびた温泉だけと思いきや! こんなモダンな そして立派な山小屋もある・・。

なんせここは 13万5千坪の土地を脱サラで買って・・開拓した人の物なのだ。

遠くから観た 野々湯温泉

今は何に使っているのか・・?
13万5千坪のこの土地にひっそりと建っていた・・。

これは野々湯温泉のゲート。
ひなびた温泉とは又 違った テクノ芸術的・・。
なんか色んなのが混在している場所なのだ・・。

温泉の近くで 崩壊している場所があった・・。
流れている雨水は・・・お湯だった・・。

野々湯温泉で台風3号の襲来。
我等はこの山奥で足止め・・?
ニュースでは 大雨風雨注意報・・列車も飛行機も欠航の報道がガンガンと流れる。

我等はあの急な一車線山道を車で降りる事が出来るのだろうか・・? 多分山道は渓流の様に雨水が流れているだろう・・。

私は列車で帰れるのだろうか?
妹の飛行機は飛ぶのだろうか・・?

二人でどん底に落ちた・・。

だけど 無時台風3号は 我等の場所を過ぎて行ってくれた・・。

ここの持ち主が作った囲炉裏のリビング

野々湯の玄関

2017年7月3日月曜日

地の果てから フェリーで島々へ・・

”長島”から 橋を渡ると 又 小さな島へ・・ もう その向こうは 海で 橋も無い・・。

フェリーで 次の島へ・・と突き進む。
なんと ”天草” 長崎県に突入している。

そして 獅子島へ・・すると 熊本県にも突入している・・。

八代海には 無数の島々が浮かんでいる。
それは もう パノラマ! パノラマ! が展開している・・。
染みる様な青の海と空 そして こんもりの緑・・。

ガラス張りのトイレ。
パノラマが用を足しつつ楽しめる・・。

どこを見ても美しい・・。
たくさんの養殖いかだが浮いている。

妹と二人で南国の海と山を満喫!

2017年7月2日日曜日

地の果て・・・

今日は鹿児島の北にある ”長島”にきた。 
島ではあるが 橋で繋がっている。

久しぶりに ピーカンのお天気で・・ 緑多い山々を潜り抜け・・目の前に広がった海に突き当たった時は 運転していた妹と共に 歓声をあげた。

”道の駅”で 刺身で食べられる切り身を買い・・大きな巻き貝(すでに茹でてあった)もゲット!

そして お赤飯とビールもゲット!

プリプリ! と新鮮な刺身は甘くて 美味!

モロキュウを 一袋100円でたんまりあるキュウリをかじる。 モロキュウは オクラにつけてかじってもうまいのだ。

そして 島の中心部にある高台に宿を決める。 一人一泊3700円也。

温泉もあるのだ・・。ダラダラ・・ウダウダと温泉に入り 部屋に戻る。

ベランダから外を見ると 海の水平線がとてもきれいに色づいていた・・。

2017年7月1日土曜日

時のパノラマ

今回の旅の目的は ある人と会うこと。
それを達成する・・。

ニュージーランドに30年近く住みつづけ・・それも ただただ 無我夢中で突き進んで来た今までの私の生活も終わる。

そして引退した今・・昔の事を想う今日この頃。

そして ジックリと 思えば想うほど・・自分の人生は なんだったのか・・? どうだったのか・・? なぜそうなったのか・・? と 色々考える・・。

そして その疑問の答えは やはり ”人との出会い” ”人との関わり”に 大きな関係があるのを感じずにはいられない。

私の子供の頃・・父親不在と同じ環境だった・・母親も10年の結核療養の時があったため 不在と同じ環境だった。

その頃 2件長屋の我が家の隣に居た お姉ちゃんとお兄ちゃん。 
ただの隣のお兄ちゃんとお姉ちゃんでは決してなかった。

両親不在と同じ環境であった 私にとっては・・唯一の心の拠り所・・いつもそこに居てくれて・・色んな事を教わり・・いつも一緒にご飯を食べたり・・一緒に寝てくれたりしてくれたお姉ちゃんとお兄ちゃん。

いつも そこに居てくれたから・・私は守られていたと思う。

だから彼らは私にとっては とってもとっても大切な存在の人だった。
優しく・・いつも居て守ってくれていた 大きな存在の人たちだった。

だから・・ニュージーランドにいながら・・”絶対に会わねば!!” と思い立ったのだ。
そして・・それが 今日実現!

50年 半世紀と言う時間の間があったにも関わらず・・会った瞬間に お互いが50年前に戻ったのだ・・。

まるでタイムスリップした様に・・。 不思議な気持ちだった。
顔はみんなお互いに じいさん ばあさんになったけど・・でも 気持ちは 子供時代とまったく変わりなく・・。

お兄ちゃんはいつもやさしく・・包んでくれていた。 
そして今もなお その優しさは もっと もっと増して 包む様な暖かさがあった・・。

話すしぐさ・・笑った時・・どんな小さなしぐさも すべて 50年前とまったく同じ物がそこにあった・・。

まるで あの時のままの パノラマが 私の目の前で展開している・・。

不思議な・・そして 夢の様な時を過ごした 今日一日!

深夜になる今もなお・・その興奮は 覚めやまない・・・。