2015年7月31日金曜日

朝の散歩 じゃ~なくて 朝のバス乗り

ここ数日 ダラダラと何もせず・・体が重い・・胃痛がひどくて夜もちゃんと眠れない・・はぁぁぁ~~・・・・も~ なぁ~~んもする気もせん・・・。

今朝も6時頃目が覚めて・・あぁぁ・・・どうしよう・・生きてても仕方ないなぁ・・と思いつつ やっとの思いで布団から体を出す・・。

しんどい・・すごく しんどい・・も~・・何もしたくない・・。

しかし! ちょっとだけ 外の空気を吸うべく 散歩に出よう。 体の重い時に無理して散歩に出ても ロクな事はないけど・・つまり 全然歩く気がしないから・・辛いだけ・・。

だけど もしかしたら 気分が良くなるかも・・? と ささやかな期待をもって 無理をする。

ここんとこちょっと暖かかったので・・そのつもりで外に出たのに・・霜でその辺真っ白!体全体がインフルエンザの病み上がりだと言うのに・・す~す~して サブ! これで ちょっとまた 心が折れる・・。

だけど・・とりあえず バスセンターまで歩けばちょっとは体が温まるだろう・・と自分の背中を押す。

昔から見慣れている美しい石で出来た教会は なんか無残な姿だった・・。

が・・バスセンターに着くだいぶ手前から だんだん また胃に違和感が・・痛いまではいかないけど・・それにちょっとムカムカするし・・。

と ベンチを見つけて・・そこに腰を下ろして休む。 体が温まるどころか かなり寒くなる・・。



ベンチに腰かけていたら・・目の前にたくさんの植物が植えてあった・・。

よく見ると 岩陰に生えている自然の植物達だった・・。


やっとの事で・・バスセンターに到着。

市バス路線図を広げて・・クライストチャーチ市全体の地図を見ていたら・・ なんとなくバスで あっちにも こっちにも行ってみたい・・と考える・・。


フト掲示板を見ると クライストチャーチ市の東 つまり海岸線まで行くバスが次出発する・・とりあえず それに乗ってみよ~~! とバス発着所に急ぐ。

すると! 近くで 大きなスマイルで 手を振りながら マイケルが 「ホレ急げ!」 と声をかけてくれた。

マイケルはドイツ人で ずっと前から私の宿に住みながら このバスセンターで案内人として働いている。

なんか 知った顔に出会えて そして大きなスマイルをくれて すごくうれしかった。

バスセンターからそのバスの終点まで30分ぐらいだろうか・・? だけど 数人いた乗客はすぐ全員降りてしまって・・私一人だけ・・乗る人もいないし・・。

バスは空っぽのまま 終点に着く。

バスのドライバーが 
「あんた どこ行くの?」と訊く・・
私「どこに行くあてもない。 ここ終点?」
ドライバー「そう ここが終点」
私「じゃ~ また このバス バスセンターまでもどるんでしょ? それなら このまま乗ってるわ~」
と言う事で そのバスドライバーは 真っ黒の肌をしたインド人 年は25歳、 私の宿のKiwihouseのすぐ近くに友達と家を借りて住んでいるとの事。

まだ クライストチャーチに来て数年だけど・・労働ビザで 永住権は取れていない・・。

結婚するなら永住権が取れてからだな~・・と言っていた・・。

彼女は? って訊いたら・・いるよ・・近くに住んでいる・・でも 友達にその彼女取られて今は その友達と住んでいる・・。 ん~・・よ~解らんな~ それって彼女って言えるのか~? 友達に彼女取られたんじゃん! とは言わなかったけど・・。

女は時々 俺の部屋に来るよ! この前まで 一晩4回は要求する女がいてさ~ サック マイ ディックとか もぉ~!なぁんでもしまくりなんよ~・・しかしさ~~ そいつにはうんざりしてよ~~ だってさ~ 昼間運転でクタクタに疲れて 夜も 毎晩だよ! 毎晩! 必ず4回はやらされる・・無理だよ それは・・ だから追い出した・・。

ってのを聞いて 私は笑ってしまった・・。

あんた 何歳?って言うから 何歳に見える?って言ったら 32歳と言う。 まぁ~! お世辞にしても うれしいわ~ といいつつ 64歳って言ったら・・マジ! 絶対そんなには見えない・・。

あんた 旦那と住んでるんでしょ? と訊くし・・一人だよ・・って言ったら 男と住んでる? 今夜暇? とか色々言うし・・ だから~・・まじ あたし64歳だっていってんの・・と言ったけど・・。

Hとか歳とったら もう興味無くなるの! って言っても 「わからん・・」 って言う・・。 だからあんたが年取ったら わかるよ! って言うと・・「そっか~ ずっと将来わかる事なんだね・・」と彼は笑った・・。

毎日何食べてんの?って訊いたら・・KFCでしょ! んでもって マクドナルドでしょ んでもって また KFCで・・と笑う・・。 お母さんの手料理が懐かしい・・? って訊いたら・・子供のような笑顔になって・・「うん! すごく懐かしい!」と言った。

友達いる・・? って訊いたら・・いる・・けど あんまりいないかな・・? ほとんど昼間運転して 夜は寝るだけ・・話する人もほとんどいないし・・客とちょっと話するのが せいぜいかな・・?

こうやってあんたと話するの 凄く楽しい~と 彼は笑った。

そうこうしていたら また バスが出発する時間・・セッセと運転しながら・・私に向かって彼が ぽつりと言った。「あんた いい人だね!」 と・・・。


バスから降りて 自分の家に歩いて・・フト気が付くと・・自分の体の重さも 心の重さも完全に吹っ飛んでしまっていた・・。

2015年7月29日水曜日

ニュージーランドの不動産屋

ここニュージーランドに来て 不動産の売買は 何回もしている・・ 自分の不動産だけでも7回買って 5回売っている。

友人の不動産は 3回買って・・2回売っている。

それで思うことは・・不動産屋の態度だ・・。 トップセールス不動産屋とそうでない不動産屋の差は大きい!

トップセールスマンは 人種差別の微塵も見えない・・快活に話・・コミュニケーションスキルの高い事! 話が分かり易い・・スムーズに会話が行く。 よって 接することで 会話の内容がいい事であれ 悪い事であれ・・爽やかさを残す程。

出来の悪いセールスマン(ほとんどが女セールスマンであるが・・)これは トップセールスマンの真逆。

つまり まず私の容姿を見て・・躊躇しているのを感じる・・。 何を言っても・・”は’あ~~?” と訊き返す・・つまり 私の言う言葉が解らないと言う。 取りあえず こいつは異文化の 異国の人間で 言葉が解らない人種と言うのが もう全面的に出ている。

何を言っても ”あなたの言いたい事がよくわからないわ” と言われる。 よって 相手もしたくない・・と言うボディランゲージをモロに出す人が多い。

電話をしても ほとんどが 留守電。 そして 何回も 何回も 名前と電話番号を留守電に残しても 返事が来る事は無い。

これがトップセールスマンだと・・留守電になる事は まずない・・ 取りあえず電話に出てくれる。 

もし 車の運転中だったら そういう留守電メッセージが流れる。 そして すぐ 折り返し電話が来る。 私が電話番号や名前を留守電に残さなくても・・ 彼の携帯の着信番号から 電話を返して来る。

トップセールスマンは 自分担当の不動産の事を知り尽くしている。 もし知らなかったら・・すぐ調べて 返信してくれる。

ダメセールスウーマンは 取りあえず 自分の担当不動産の事をあまり良く把握していないので・・ どの不動産なのか・・詳しくその住所 地区 値段とか こちらから言わないと 全然わからない・・。

言っても解らない人もいる・・。

ダメセールスマンで 見学に行く約束をしていたのに・・時間通りに来なかった奴もいた。 待つのが嫌なので・・帰ったら・・その後 えらい剣幕で なぜ来ない?! と怒鳴られた事がある。

待ったけどあんた来なかったから・・って言ったら・・不動産屋のおばさんの子供を学校に迎えに行ってて 遅くなったんだから!! と もっと ヒドイ剣幕で怒りだした。

私が ”もうその不動産には全然興味が無くなったから もういい” って言っても まだ そのおばさんしつこく怒っている・・。

私は この地に来てから26年間 他にも たぶん100人近い不動産屋と 接する機会があった。 今は トップセールスマンと ダメセールスマンの違いは 瞬時に見抜けるようになった・・・。

今 10数年ぶりに また 不動産を見つけている・・ うんざりする程 後味の悪いセールスマンが多いな~ と思う。つまり ダメセールスウーマンが多い。

不動産自体は興味があるのに・・不動産屋に気分の悪い思いをさせられる事で どんよりと思い時を過ごすのは まっぴらだ・・。

しかし 今朝 久しぶりに トップセールスマンと思われる人と電話で話した。強力な情報を教えてくれた。 そして 爽やかな気分を残してくれて・・今日一日が楽しくなった。



2015年7月28日火曜日

やっぱり 前向きで楽しい事を考えて生きたい

昔 私の宿に居た 若者が 私の60歳の誕生日パーティーの時に言った言葉

「もう 60年も生きて 十分でしょう!」

冗談とは言え・・やはり この言葉を思い出す度に 心が痛む。
言い古された言葉でもいい・・ 本心でなくてもいい 
「長生きしてください」 って言われた方が 絶対に嬉しい。

60歳ってそんな歳なんだと思う。
今までは なんとか 若くありたい・・健康でいたい・・と頑張れば どうにかなる事だって 沢山あった・・が! 60歳と言う歳は たぶん 大きな節目で・・どうあがいても ”高齢”と言う域に入ってしまうのだ。

そして ”死に支度”の始まりなのだ・・。

残された時間は もう おまけみたいな物で・・一日 一日が貴重であり ありがたい・・と思いながら過ごすのだ・・。

彼は子供とよく遊ぶと言う事を言ってた事がある・・。 その時 私が 「子供って 一緒に遊ぶのって ものすごく大変でしょう? 同じ事何回も要求するし・・自分の思うようにならないとすぐ すねるし・・」 と・・ベビーシッター業を専門に3年やったことのある私は言う・・。

すると 彼は・・
「いや~ 子供がうざくなったら その子供を 思いっきり摘まめばいいんだよ・・親が見てない処でね! そしたら 子供扱うの簡単だよ!」 

それを聞いた私は唖然とした・・。

彼って そういう生き方をしているんだ・・・。

ある外国の若い女性カメラマンが 子供の泣き顔だけを写真集に収めた。 そして その子供の泣き顔を撮る際・・子供にまず 飴を与える・・ 飴を楽しんで嬉しそうになった所で 無理やり子供からその飴を取り上げる・・簡単に泣き顔を子供は作ってくれる・・と言ってたのだ・・。

そして その事を聞きつけた 世界中の母親達は・・ 児童心理学の学者までを引きだして・・そんな事をしたら 子供の心に傷が着く・・と訴えたのだ・・。

が・・そのカメラマンは ”一切子供の心には傷はつかない”と反論した。

私が思うに・・どう考えても それは どんなに子供であれ・・心は傷つき・それは 将来まで引きづると思う・・。

犬猫だって 人間の裏切り行為で 立ち直れなくなったりするのだから・・。

もう一人の日本人の若い男の子で 私の宿を手伝ってくれていた子がいた。 その子は NZに移住したいので・・永住権を取得してずっと私の宿を手伝いたいと言っていた・・。

しかし・・私が永住権取得の事で 一生懸命になっている最中に 突如姿をくらましたのだ。

風の便りでは・・日本に帰ったとのこと・・。 そしてその風の便りにはおまけがついていた。 彼は又 どこかの店で泊りがけで働き始めたが・・ 即 また 姿をくらましたとの事・・・。

彼が言ってた言葉・・
僕が一番欲しいのは 頑丈なコンクリートで作られた部屋。 出入り口は小さくてもいい 金庫のドアのような頑丈な物。 窓も要らない。 そんな部屋が僕の理想の部屋。
完全に安心して眠れる部屋だ・・と・・。

それを聞いて・・私は 唖然とした・・ なんか ”病んでる”・・としか思えない・・。 それを聞いた時は 思った・・。

そして 彼が色んな所で いい加減な約束をして・・・ 気が変わったらすぐ行方をくらます・・と言った生活をしていたら・・そりゃ~ 毎晩安心しては寝れないだろうな~~・・ と 私は コンクリート部屋の話に納得が行った・・。

やはり 人間・・いつも 前向きの考えで 前向きの行動をし 楽しい事を考えて生きるのが 一番いいのだと思う・・。

Fさんと 私は似てる・・・

Fさんが 私と似てる所がある・・って言ってたけど・・。 ツラツラ考えたら・・やっぱ似てる・・・。


① 二人とも動物大好き 特に犬猫には 異常なる愛情をもってしまう。

② 二人とも喘息持ち、 他にも色々体に支障あり。 なので二人とも 高カロリーの物は食っちゃあ~いけない体・・でも 食う・・。

③ 二人とも すぐキレる・・・普段は穏やかだが・・ムカッとすると 見境なく喧嘩をおっぱじめる・・。絶対勝つ!勢いでやる・・が 意志は弱い。 

④ 二人とも足が悪くて手術が必要・・Fは最近手術をして良くなった・・。

⑤ 二人とも 一人をこよなく愛す・・が さみしがりや・・。

⑥ 親が嫌いではないが・・濃く接する事は不可能・・ダンダン摩擦が生じる・・。だから距離を置く。

と ま~ サッと考えても すぐこれぐらいは出てくる・・。
まだまだ 共通点があるような気がするが・・Fさんが 付け加えてくれるかも・・?

不妊治療

私の回りに不妊治療をしている人が沢山いる・・。 昔 私が若い頃には 聞いたことの無い言葉だ・・。

昔から妊娠しない人はたくさんいたけど・・ それを”治療”と言う域まで持って行くって事はまずなかった・・。

今の時代に妊娠しない人が多いのか・・? それとも 不妊治療の技術が発達して妊娠の希望が出て来たから 不妊治療と言うのが多くなってきたのか・・?

それにしても 不妊治療に関しての色んな”人間ドラマ”を 見聞きすればするほど・・ そう簡単な物では無いな~・・と思わずにはいられない・・。

IVF には大金がかかる・・普通の人達にとっては 大きな財産を投じての治療に挑む。 ま~ これで 子供が授かるのであれば・・その価値がある・・と思っての事だろう・・。

が・・そこで もし どれだけ財産を投じても 破産同然になっても 結果が出なかった場合・・つまり 子供が授からなかった場合・・を心配する。 その可能性は多々あり得る。

残る物は 何もない・・・無なのだ・・。普通お金を投じれば・・・そこに 何かを得る事が出来る。 映画にお金を出せば・・映画鑑賞ができて お金を投じた分楽しみを買う事が出来る。

数百万を投じれば・・上等の車が買えたりもする・・。

が・・不妊治療は 何百万投じようが・・子供を得られなかった場合は 結果何も残らない。 

それどころか・・大変なストレス・フラストレーション等が沢山ある。 それによって夫婦仲が壊れたりもする。

高額なお金を稼ぐ為に 馬車馬の様に働いて貯めたお金も 全部 跡形も無く ただただ消えてしまうのだ・・。

そんな結果を想定して 不妊治療に挑む人は居ない・・・普通は 子供が出来る事のみを夢見て・・長期的時間とエネルギーと 財産を投じるのだ・・。

息子夫婦は・・・”もし結果が出なかった場合 つまり・・子供ができなかったら・・人生の後になって あの時もっと出来る事をやっとけばよかった・・” と言う ”後悔”をしなくて済む と言う。 

時間とエネルギーと財産を投じて・・例え 煙のように何も残らなくても・・・それは ”後悔”をしたくない・・それだけの為だと思えばいい・・と 自分達に言い聞かせている・・。

それにしても・・不妊治療は大変な精神力を必要とするのには 間違いない・・。

自分は”運”のいい人間か? 悪い人間か?

どこかの大きな会社の社長さんの 人材採用試験での質問で・・
あなたは運のいい人間か? 悪い人間か? と訊かれて ”悪い” と答えた人は採用しない・・ と言うのを どこかで聞いた事がある・・。

然り・・! と思った・・。

”運が悪い”と思い続ける人・・つまり そう思う人は 文句ばっかり言っている人・・悲観的な考え方のする人に多い・・。

ま~ 誰でも 悲観的になったり・・愚痴ったり・・そんな考え方をする事は多々ある・・。

が・・自分の人生自体が あまり運が良い訳ではない・・と思う人は 根っこから 悲観的である為に 向上心も弱いであろうし・・感謝の気持ちも少ない人間だと言うのは明らかだ・・。


ヘレンケラーの言葉 を読んでいるとその辺は 明らかだ・・。 

彼女は普通の人であれば 完全に悲観的になって自殺してもおかしくない状況で生まれて来たのにも関わらず・・すべての言葉が 前向き且つ感謝の気持ちを忘れていない。

先日行った小さな田舎街にあった看板に・・・
”感謝する事はたくさんある” と言うのが描いてあった・・。 そういわれてみればそうだな~~・・と 深く頷いてしまった・・。

運命

BBCのNatural World

↑のテレビ番組を最近はずっと シリーズで観ている・・・。

動物の世界は弱肉強食だ・・と言うが・・。

弱った動物や子供の動物が・・ライオンとかに狙われて・・必至に逃げよう・・生きよう・・としているが 結局囚われて 食われてしまう・・。

あ~・・と ちょっと悲しくなる・・。

が・・ライオンの赤ちゃんとかが生まれて・・可愛い・・・そして それがドンドン成長して・・狩りの練習とかして やっと獲物が獲れた時は・・ホッとして・・これで一人前になって生きて行ける・・

と・・安心する。

どっちの身になっても 結局は みんなそれぞれに 精一杯生きているだけであって・・ 動物それぞれは運命に従って生きているだけなのだ・・。

人間の世界だって まったくもってそれは同じ事だな~・・と思う・・。

いくら努力しても・・頑張ってみても・・運命と言う物には逆らえないのだから・・。

この世は神の ”Great Power" と言うので動かされている・・。 つまり ”偉大なる神の力”だ。 そんな事を言うと ”お前は宗教家か?” と言われるが・・

私は無信教者だ・・。

昔 神父をしている従兄に・・”あなたは 無信教者と言うけど・・ 私の教会に来ているどの信者よりも 強い信者ですね・・” と言われた事がある・・。

神がこの世を創造して 神がこの世を司っている・・これは 然り! と思う。

”神”と言う物が 嫌いな人もこの世には沢山いるので・・ そんな方は ”神” を ”自然”と言う言葉に置き換えれば 納得行くだろう・・。

が・・なぜ 無信教者の私が・・ あえて ”神”と言う言葉を使うか・・? 無信教者なのだから 最初から ”自然” と言う言葉を使えばいいのに・・。 とも言われた事がある・・。

”自然” と言う言葉の意味曖は 風景とか 天候ぐらいにしか考えられない。 それは ”神” と言う意味曖は全然違うと思う。

が!”神”は 偉大であり・・偉大なる力もあるし・・ この世のすべてを司っていると言う意味曖もある・・ つまり ”自然”その物が ”神”その物とまったくもって同じだから・・。

キリスト教の”神の教え”の中には ”FreeWill" と言う物が創られている。 つまり ”自分の意志”の力 と言うのも存在する・・。

これは 私が思うに 完全に ”宗教”の域に入る物だ・・ つまり 精進する事によって 人間の生きる事が良くなるよ・・と言う ”教え”みないな物だ。

その 宗教の中にある”精進しろよ”ってのは ”自然”にはない。 つまり そこには 現実にある物のみ! それ以外は存在しない。

よって そこで 宗教家であるか? 無信教者であるか? の違いがでてくる。 

私は ”FreeWill" を信じないのだ・・。 つまり 自分の意志によっては 運命と言う物は替える事は出来ないのだ・・。

一生懸命に何かに向かって頑張る事もするかもしれない・・ だけど・・それは 自分がそうしたいからしたいのであって・・そこには”欲”が存在する。 それが悪いと言う事ではない・・ つまり その”欲”に向かって 頑張る事も それは 自分の運命の中に組み込まれているのだから・・。

息子が小学生の時に言った言葉がある・・。
「人間は全部運命が決まっているんだよ」
私は ビックリ! どっからそんな哲学的な言葉が出てきたのか・・? いまだに解らない・・。

で 私は すかさず 息子に言った・・
「いやいや 自分の努力次第で 運命は変えられるんだよ! 全然ダメ人間が頑張れば ダメ人間では無くなるし」
と・・母親らしく頑張って息子を説き伏せにかかった・・。

が!息子から返って来た言葉・・
「その 自分が努力したいと思う気持ち・・ そして努力をすると言うのも 全部運命で決まっているんだよ」

ん~・・・ そこまで言われると・・私は もう反論の余地がない・・ なんか 言われてみればそれもそうかも・・? と思ってしまった・・。

そして 今は なんと 息子のその言葉通りだと信じて疑っていない・・。

つまり キリスト教の言う ”FreeWill" って言うのは無信教者には無いのだ・・。 宗教では”精進しろよ” と言う教えが沢山あるが・・ 宗教と言う物 その物が 人間が人間の為に作った物だから・・人間の為に 人間が幸せにより良い行いで生きて行く為に ”こしらえた物” であるのだと思う・・。

つまり 運命と言う物は この世の大自然とまったく同じ物で どこをどういじってみたとて 決まっている物だと思う・・。




2015年7月22日水曜日

”もうちょっと 生きてみようかな・・”と 思わせる ”男はつらいよ 寅さんシリーズ”


https://www.youtube.com/watch?v=0PLvUlsW10w

最近 “寅さん”の映画にはまっている・・。

昔もたくさんのシリーズを観た・・そして いつも “い~な~ 寅さんの映画は” としみじみ思った。 そして 寅さんが亡くなって・・寅さんシリーズもおしまいになってしまった。

また 同じシリーズをツラツラ観ていると・・

あ~ この俳優も この方も そしてこの方も・・居なくなってしまったのだな~~と悲しい。 

寅さんの最後の頃は 立っているのも苦しいのに映画を撮り続け・・座っているシーンを多くしたと聞く。

亡くなった時も・・次のシーズも決まっていたとの事・・ そんな事を想いつつ・・彼の若い頃のシリーズを観ると・・涙が出る程元気だ。 

駆けたり 飛び上がったり 人と取っ組み合いしたり・・と ま~ 元気だ。 そして おいちゃん おばちゃん達も若くで 生き生きとしている。 さくらちゃんの若くてかわいい事!

そして 何本も 何本もシリーズを観ていて・・ 昔のように ただただ・・“いい映画だ~!” だけではなく・・なぜに こんなにも感動するのだろうか? と考えてしまう。

寅さんの映画に出てくる人は 自分の日常の回りにいそうな人ばかりなのだ。 

みんな変わり映えしない・・同じ事の繰り返し・・そんな中でも嫌な事 不条理な事 色んな事にも耐えつつ それでも身を寄せ合って・・人から受ける 大した助けでもない事でも 人は胸を打たれて嬉しくさせてくれる。

そして立ち直って行く。 

“青年労働者諸君!” と 寅さんがいつも言っている・・ 中小企業の社長は常に首つって死にそうだけど・・それでも生きている。

吹けば飛ぶような店だろうが・・ダメダメ人間だろうが・・ 時には財界・政界の社会のてっぺんに居るような人間でも・・それから 外国人だろうが・・ 人間は人間 みな同じなんだな~~ と 寅さんの映画では言っている。

みんな 苦しい事 悲しい事も抱えて生きている。 誰も スムースな安易な人生を送っている人は居ない・・。

それを 寅さんと 寅さんの回りの人間達がいつも 癒してくれて 元気を与えてくれる。 

箸にも棒にもかからないような・・どちらかと言うと社会から完全に落ちこぼれていると世間が言うような寅さんが・・ どんな人の人生をも救ってくれて・・最後は 明るく前を向いて生きて行けるようになるのだ。

何をどう解決したのか・・? とは具体的な物はない・・ しかし! 寅さんは 必ず 彼の人間的情で・・ “この世はまんざらでもない・・とりあえず もう少し前を向いて生きて行こう” と言う気持ちにさせてくれる。

その映画を観ている私も “さ! もうちょっと生きてみようかな・・!” と言う気にさせてくれる。 それは 誰からみても どっからみても どうしようもない人間を演じている 寅さんが 元気に生きているんだから・・ と言うのがあろう・・。

たとえ 寅さんシリーズの役者さん達が亡くなっても・・あの寅さんシリーズを観る度に この “人を生かせる” と言う力は グングンと大きくなって行くように思う。


“寅さん映画”は 聖書の様な力のある愛情を 溢れる程 我々にあたえて続けてくれているような気がする。

2015年7月21日火曜日

38歳の息子の誕生日に捧ぐ手紙

Lokunへ 

38歳の誕生日おめでと~~☆

1977年 7月21日 私が 26歳の時に Lokunは 3450gで産まれました。 宮崎県 小林市の 小林市立病院で産まれました。

産まれる予定日は 7月7日で “あ~ 七夕の日に 産まれるのだ~~・・” と ずっと思っていました。 でも7月7日になっても 全然生まれる気配なし!

妊娠2ヵ月目で もう私の妊娠がわかりました。 昔あ 妊娠3ヵ月でないと 普通解らないけど・・ 私の体の具合が悪くて・・悪くて・・医者に行ったら 妊娠と言われました。 と言う事は もう 妊娠2か月目で すでに つわりが始まていたのです。

その時は 京都の山科区に 住んでいました。 

それから 私のつわりとの戦いが 妊娠六か月まで続きました。 つまり 4か月もつわりが続いたのです。 つわりとは 体の中に異物が出来るので・・体はそれを廃除しようとする 異物反応・・ って事は Lokunの存在は私の体は 相当強い “異物” として 長い間 抵抗した事になります。

私の体重が 38kgまでになったと言うのは ま~ Lokunは 今の私からは想像を絶するとは思いますが・・確かにその体重まで 落ちたのです・・。

ほとんどは 山科の近くの病院で入退院を繰り返す状態でした。 何回も Lokunの心臓の音が消えて・・ 看護婦さんが 心音を取るのだけど・・ どうやっても 心音が聞こえずに・・ お医者さんに・・
「先生 心音が聞こえないんですが!」 と言ってるのを覚えています。

ま~ 普通は 母体の体重がぐんぐん増えて来るはずが ぐんぐん減っている状態では・・ ま~ それもそうだろうな~~ と思っていました。 

医者が 「一応心音は かすかに聞こえる」 と言う言葉を聞いて・・ 私は いつも “あ~ 赤ちゃんはまだ 生きている” と実感したのでした。

毎朝 医者が病室に来て 「もう母体も危ないし・・このまま妊娠していては共倒れだし・・今回は子供はあきらめなさい」 と言うのが 常でした。

でも かすかでも 心音が聞こえると言う事は “生きている” と言う事で 死んでいる訳ではない!“ と言うのが 私んの気持ちで・・ 生きている物を殺すのはできない・・! と言う一心で  ガンガン涙目になって・・・首を横に振るのみ・・の毎日。

医者も母体がどうあれ・・母親が泣いて・・嫌だと 言われるのを 無理やり赤ん坊を殺すのはできなかった。 溜息混じりで 毎日諦めていた・・・。

そんな毎日の数か月後 遂に! 7か月目に入ったら 今度は奇跡のように ぐんぐんお腹がでかくなってきて・・ つわりはウソのように無くなりました。

その時に食べていたのが “メロン” 日本では “プリンスメロン” と言って 皮にギザビザの入ってない奴です。 これはが又! 甘くて ものすごくおいしいのです。 Lokunの体は プリンスメロンで作られたのと同じと言っていいほど 私は 毎日 プリンスメロンで生きていました。

Lokunが 言葉をしゃべるようになり 好き嫌いが言える頃になった時に・・ “メロンは嫌い” って言われた時・・思わず “ま~ そりゃ~そうだろうな~~ もう うんざりってのは わかる!” と 相当納得が行ったのです・・・w

妊娠8か月目になったら  Noriの腹も まるで西瓜泥棒をした様に でかくなって・・ 九州のばあちゃんが言ってたけど・・ “妊婦は西瓜畑の近くを歩くな!” と 言う言い伝えがあるとか・・?

昔の人はすごいな~~! と思う。 ホントに 腹は西瓜を入れたようなのになって行く。

それで 8か月目から もう 腹がツッパリ 赤ちゃんを押し出そうとする 子宮の収縮が 夜になると 起きるのです。 医者にそれを言うと・・・ もしかしたら もうすぐ出てくるかもしれない・・あまり 動かないようにして できるだけ 横になっているように・・ と言われたのです。

つまり 早産になる恐れあり・・。 子宮口も少し開いているし・・ 早産は考えられる・・。
7月7日に近い頃には もう毎晩 何回も腹が絞るように強く・固く収縮して・・ まるで お産が始まるような気配が 一晩中。 そんなこんなで・・あまり寝ることができませんでした。

妊娠8か月目で すでに 私は 宮崎県 小林市 にあった 農林省の試験牧場 つまり 九州のおじいちゃんが働いていた牧場の官舎に 行ってました。

九州のばあちゃんは 私が夜中 「子宮が収縮してる!」 と騒ぐ度に 起こされて・・ 私もばあちゃんも寝不足状態い陥っていました。

そうこうしていても それでも 本格的陣痛は来なく・・病院は 予定日より2週間以上は 赤ん坊を子宮内に置いて置くのは 大きくなりすぎて危険だと言う事で・・ ちょうど 7月7日の予定日から2週間後の 7月21日に無理やり陣痛を起こすべく 入院。

朝から 子宮口を開く器具を入れ 陣痛を起こす注射をし・・ 最初は 何も起こらないな~・・ と高を食っていたけど・・ ドンドン痛くなり・・ ベッドの上で もう 地獄の苦しみ・・。
最初は じいちゃんもばあちゃんも 一緒に居てくれたけど・・じいちゃんは 私が騒ぐのがひどくなると 逃げるように居なくなりました。

でも ばあちゃんは 私の腰だの 背中だのを せっせとさすってくれて・・そんなことで 陣痛が和らぐ様なもんでもないけど・・ それでも 誰か傍にいてくれるって言うだけでも・・ 背中や腰をさすってくれるって事で なんか 命が助かるような気持ちすらあったし・・。

それから 分娩室に移動したけど・・その時は なぜか覚えていない・・。 でも 分娩室に移ってからの 苦しさは半端ではなかったな~~・・ あまりの喘ぎで 喉が完全に乾いて 喉と口の中がペトペトとくっついてしまう痛さを覚えている・・。

そして 水! 水! と叫ぶと 看護婦さんが 私の口に水差しで水を流し込んでくれたのも覚えている・・。 あまり私がうるさいので・・ 病院じゅうの人に聞こえるでしょ! と看護婦さんに叱られたし・・ でも そんな事で 私は全然気にも止めなかった。

私の分娩台の向こうには大きな窓があって 夏の暑い まぶしい光が沢山入っていて・・ まるで 真っ白なまぶしい光の中に自分がいるような感じでもあった。

その内 若い医者が二人やって来て そのまぶしい光の真ん中 つまり その光が入って来る窓枠に二人は座ったのだ。 そして 二人の若い医者は 「ここから 高見の見物! わっはっは・・」 と笑ったのだ。

人が苦しい目にあってるのに・・人は 天国と地獄と二手に分かれる事ができるんだな~~ とその時思った。 たぶん 私があまりにもデカイ声で わ~わ~! 騒いでいるので・・賑やか過ぎて お祭り騒ぎになったのだろう・・。 

分娩室はたくさんの看護婦と 私の赤ん坊を取り上げる医者の他にも また 若い見物医者がやって来たので・・賑やかにならざる負えない状態だったのだろう。

そうこうしている内にやっと Lokunが生まれた。 産声のうるさかった事! 自分では煩いとは思わず・・やっと・・・やっと・・長い闘いが終わった・・と言う実感だった。

その産声は 高らかに病院中に響き渡っていたように思えた。 最高に自慢できる産声だった。 そして 誰かが「お母さんが 相当デカイ声だから 赤ちゃんもすごいデカイ声だな~!」 と言ったら 回りの人 全員が笑った。

私も必至だったけど・・ 回りのみんなは “煩いお母さんだな~” と思いつつも 必至で動いてくれていたのだろう・・ だから Lokunが生まれて みんなもホッとして 嬉しかった 一瞬だったのかもしれない。

日本のそこ頃の病院では 赤ちゃんが生まれても すぐには 母親には見せないで すぐ産湯につかわせて・・湯上り状態で それに キッチリとおくるみに包んでから母親に見せるのだ。

はやく! はやく!・・ 見せて! と気が急いた・・・ やっと やっと見せてくれた・・ おくるみに包まれて見せてもらったLokunは 湯上りの顔をして サッパリとしていた。

しかし 医者が 産まれた所をメスでざっくりと切っていたので・・(その頃は 赤ちゃんが出やすくなる為に切開するのだ)それを縫う作業が また けっこう痛くて・・ 私が又 痛い! 痛い! と騒ぐ。 麻酔はしてあったのだろうか・・ 取りあえず お産が終わってホッとしているのに・・ またもや ザクザクと針で縫うのが 鮮明に神経に当る。

でも その医者の縫合作業中に 看護婦がLokunを私に見せてくれて 私が Lokunを見ている間は “痛い! 痛い!” と騒ぐのが止まる。 Lokunを見せ終わって 看護婦さんが Lokunを連れて行ってしまうと また 私が痛いと騒ぎ出す・・。

医者が 看護婦さんに 「赤ちゃんをお母さんに見せとけ! じゃないと うるさくて仕方がない」 と言ったら また 回りの人達が ドッと笑った。 結局 医者が縫合している間 ずっと Lokunを看護婦さんは私に見せてくれた。

夏の光のそそがれていた大きな窓の上には 丸い時計があって・・ Lokunが生まれた瞬間に思わずそれを私が見たのは 午後5時13分だった。

その日は Lokunは 沢山の他の新生児が寝かされている所に 勢揃いして寝かされていた。 次の日も 私のベッドには連れてきてもらえなかった・・。 なぜだろうか・・・? 何回も 私は Lokunが寝かされている所に ヨタヨタと 手すりをつかまりながら行って Lokunを見つめていた。

看護婦さんに いつになったら Lokunを得る事が出来るのか? と訊いても “もうすぐ” としか 言ってくれなかった・・。 今になってみたら・・ 母体はお産で疲労困憊しているから 休める為に 赤ん坊とは一緒にしないのだ・・と 言うのが 後になってわかった・・。

が! 私は 結局お産をした後の夜は一睡もできていない・・ つまり Lokunの事が気になって 気が立って 眠れないのだ。 母体は赤ん坊と一緒にすることによってしか安心できないという人もいるのだ・・と言うのを その病院は知らなかったのだろう。

やっと Lokunを私の手元も貰えるとなって・・ またもや 次の朝 ヨタヨタとしながら Lokunを受け取りに行った。 まず 私が安定する為に椅子に座らせられ・・Lokunが私の腕の中に入れられた時は なぜだか・涙がボロボロ出るばかりで・・ Lokunの顔に 私の涙が ボトボト落ちたけど・・ それでも 涙は止まらなかった。

Lokunの体は ズッシリとしていて おくるみから 私の両腕に伝わって来る 暖かいLokunの体温の感触が 今でも鮮明に残っている。 それが私のLokunに対する一番最初の印象だ。 あのおくるみから伝わる 熱いとも思えるLokunの体温の感触は 私が死ぬまで 一生強い印象となって 絶対に薄れる事もなく 続くと思う。
九州のばあちゃんが 私の横に居て・・Lokunを 触りたくてウズウズしているのがわかる。 でも 私はやっと Lokunを自分の腕の中に入れる事ができて・・誰にも渡したくない気持ちでいっぱい。 

私が ボロボロと泣くばかりで 泣き続けるばかり・・なので・・・ばあちゃんは横で “落とさないで! 落とさないで!” と煩い・・。

でも 私は完全にばあちゃんを無視して ボロボロと涙ばかりこぼしていた。 長い・・長い・・Lokunとの初対面だったと思う・・。

それからも ずっと Lokunを 他の誰かが抱こうとするのが ものすごく嫌だった・・危機すら感じた。 たぶん 私は普通の人間の本能より 動物本能の方が強いのだろう・・ 人が近くに寄っただけで・・Lokunを取られるような感じがした。

京都のおばあちゃんが 私が一か月後京都に戻った時 真っ先に私の腕から Lokunをひったくるようにしてもぎ取った。 まだ首も座っていないLokunの頭が ブルブラと その時動いたのを覚えている。

その後は もっと 他の人が Lokunを触るのが嫌だったな~~・・。

Lokunは どこのどの赤ちゃんよりも ずっと目がクルッとして可愛く 美しい赤ん坊だった。 自分の子供は 親バカで どんなにブスでも可愛く見える・・と人は言うが・・ いや! そうではない・・ Lokunは正真正銘 誰が見ても どっから見ても 世界一 愛くるしい赤ちゃんであったのには間違いないと 私は今でも強く信じている。

ウソだと思ったら Lokunの赤ちゃんの頃の写真を見て欲しい。 どの写真を見ても どっからどう見たって 最高にかわいいのしかないだろうが!☆

Lokunの出生の詳細は この私しか知らない事ばかりだと思う。 ほんの少し Lokunがこの世に生まれた瞬間を書きました。 

Nori ♡

2015年 7月21日 Lokunの38歳の誕生日にて


2015年7月20日月曜日

保存食材は永遠ではない・・



油はすぐ酸化するのか味が悪くなる。よって 大量には買えない・・できるだけ少しづつ買う。 もちろん! ナッツ類や ゴマ等も油と同じ・・すぐ味が落ちる・・。よって 1週間か2週間で消費できると言う確信の元に買う。

過去に何回も失敗して捨てた・・・。 食べ物を無駄にすぐのが大嫌いな私としては 破棄処分の際はものすごく心が痛む。

買ったばかりのナッツ類を食べられなくて そのまま捨てた事もよくある。 よって 回転の速いスーパーとかお店で買った方がよい。 

買う前に賞味期限を確かめるのも重要かも? でもナッツ類は賞味期限が まだまだ先のでも 完全に酸化してしまって食べられない物もここニュージーランドでは多い。

自分の持つ 保存食材の処分に踏み切る・・とりあえず乾物とかは 老人になると ドンドン溜めこむ癖が出てくる。 

ドンドン体が動かなくなると・・とりあえず乾物とかあれば どうにか飢え死にしなくても済むって言う本能的潜在防衛本能が働くのか・・どうしても溜めこみがちになる。 

溜めこむのが好きではない 私ですら・・ダンダン知らない内に溜まる・・。
と言う事で・・溜まっている寒天を消費しよう!と今日は決意。 

溜まっていた年代物プラムジャム、なんせ自分の庭で採れたプラムから作ったジャムなので・・大切にしていたら あまり消費していない・・よって それと寒天で フルーツ寒天のデザートを作る。

しこたま あずきから作った手作りあんこが冷凍庫にあるので それも 羊羹 水羊羹に 寒天でする。 ついでに トコロテンも作ってしまう。

今日は餅粉を買ってきて まだまだあるあんこからお汁粉を大量につくろ~~。若者が沢山いる私の回りでは アッと言う間にみんなが消費してくれる。

餅米ももう早く使った方がいいなぁ~・・と思う。 杵と臼があれば餅つきをするのに!! と ニュージーランドに来てから20年以上も前からずっと思っていたが・・いまだにその夢は達成されず・・。

取りあえず 蒸かして おこわご飯でも作るか~~とたくらんでいる。

シイタケ・昆布類は 全部 冷凍庫に入れておいた厚揚げと煮込む。 大量に醤油で煮込んでいれば ちょっとづつおかずとして食べられる。 小分けにして冷凍庫に保存できるので・・一人暮らしにはもってこいのおかずだ。

スープ用多種の豆の乾燥したのがあったので・・ それもひよこ豆やら セロリの葉っぱと共に煮こんだ。 これも膨れ上がって 膨大な量のスープができた。 これを小分けにして冷凍庫に入れた。

冷蔵庫に ちょっとしなびた人参・・ 芽が出そうな玉ねぎ・・ とかあるので 冷凍庫にあるグリーンピースとトマト そんなのを入れて・・たんまりチーズをおろして・・ 粉と混ぜて 野菜バンを作った。 

冷蔵庫はほとんどスッカラカンになった。

野菜バン・パウンドケーキ・クッキー等にして大量に冷凍庫に入れて置くと小出しに して消費できる。

と言う事で・・材料で保存しているより・・すぐ食べられる物に調理したのを一回分づつ小分けにして冷凍庫に入れて置くとチンするだけですぐ口に入る。 もしくは若者達に持って行く・・そうすると 着実に消費できる。

溜めこんだ食材がどんどん無くなるにつれ・・どんどん体が軽くなるような気がする。 

いつかは使うぞ! と思っている食材の消費、その“いつか” って言うのは自然にはやって来ないのだ。 あえて食材にアタックしない限り・・・。
ここで 重要注意点がある。 それは 乾物・缶詰等の 長年保存できる食料は 安易には買わない! もし買う時は “確実に短期間で消費する”と言う予定と確信を持てる時のみにする。

この注意点を 歳を取ったら 常に心がけていないと・・その内使う・・と言うのはない。 いつ体が動かなくなるか・・死んでしまうか解らないのだから・・・。


アジア人ばば~の位置はこの世の底辺の底辺

★先日いつも持って行く ミシン屋さんに修理に行くと・・いつもの人とは全然違う人・・つまり NZ人の太ったおばちゃん二人は居なく・・アジア人の若い女 それもそうとうみすぼらしい・・英語もあまり上手ではない子が居た。

その子ではラチがあかなくて その子に付いているNZ人夫と名乗る男が私のミシンを受け取った。 との夫も又 なにかやくざっぽい。 その店のビジネスを1年前に買ったとの事。

しかし ミシンの修理を頼んた後・・すぐ連絡すると言ってたにも関わらず・・1週間 10日経ってもミシンの連絡もないので・・こちらから電話すると・・修理も何もやってない・・何を言ってもヤクザっぽく開き直るだけ・・。

典型的 アジア人女をはべらせている 怪しい白人男の姿勢だ。

そして 結局 自分のミシンを取り返すべく 夫に取りに行ってもらった。 そのNZ人夫は もう最初から平身低頭で・・ぺこぺこしていたとの事・・。 夫はただ何も言わずに ミシンの預かり所を出しただけで文句を言った訳でもない・・なのに謝り倒して来たという。 

これも 後進国のアジア人女性をゲットしている先進国白人男の典型的態度だ。

アジア人 ましてやアジア人ババ~のあたしは 彼にとっては この世の底辺の底辺にいる人種なのだろう・・。


★数年前 NZの宿に泊まった時 私と夫の部屋の隣に泊まった客は 若いアジア人女と 怪しいNZ人男であった。 

夜になったら・・・男の女に罵倒するがなり声が隣の部屋から聞こえた・・。 あまりにもヒドイ罵倒なので・・もしかしたら 女は暴力をされて死んでしまうのでは・・? と心配したぐらいだった。

朝になったらその若い女は一人で食堂で朝ごはんを食べていた。
ちゃんと生きてて良かった! と私は胸をなでおろした・・。


★友人(40歳ぐらい)男性が タイ人の彼女(?)をもっている。 彼女とはいえ 10歳以上も年上。

見た目は彼のお母さんのようだ。 が・・彼等はいつもタイで一緒に遊んでいる様子だ。 もう 彼等の関係は7.8年にもなるだろうか・・?

彼曰く 彼女は ガールフレンドではない。 彼女をNZに住まわせる気は一切ない。 彼女が来ても 家事等をたくさんやってくれるから便利だと言っている。 彼女に持たせるお金は 子供のお小遣い程度しか与えない。それ以上は危険だと言う。 

彼はタイに頻繁に行くが・・そこで 彼女とべったりと言う事もない・・適当にタイの長期滞在を色んな所で・・・一人で もしくは他の女達と楽しんでいる。

その彼女はややもすると “お金をせびる” “彼女の妹 従妹達に他の白人男を紹介しろ” と言うのが かなりしつこいと言っていた・・。 それが彼にとっては一番しんどい所だ・・と よく私にこぼす・・。

つまり 後進国のアジア人女にとっては 先進国の男を得ることは 生活の糧を得る事である。

今の時代でも こんな事が歴然と身の回りにあふれている・・アジア人ババ~の 私の身としてはなにか・・釈然としない・・。


2015年7月16日木曜日

ネット友

”メル友” と言う言葉があるが・・・ ”ネット友”と言う言葉はない・・。

ネット友は大体ネットにONになっている時間が非常に多い・・って事は 自分がネットに入るイコールそこに居てくれる事が多い。

家族・恋人・パートナー・友人とは また まったく別の関係である。ネット友ってのは 時にはそれ以上の関係になってしまう。

完全なる精神的な濃い関係になるのだ・・。

あえて家族に連絡もしない事、 パートナーに 恋人に言いたくない事でも・・ ネット友がそこに居てくれれば・・告白したり・・話を聞いてもらったり・・と 心が和む事が多い。 

本音を出してお互いが迷惑になる訳でもない・・と言う程のネット友とは他の人間深い関係が確立されている。

長年の内にお互いを侵害しない 特別な関係が育まれているのだ。

私の言う ”ネット友”の定義とは・・・
煩わしさがなく・・心を和ませてくれる・・ そして いつも そこに居てくれる友人なのだ。

一人暮らしをしていたら・・ネット友と言うのは俄然重要な人になって来る。 取りあえずそこに居てくれる・・。

孤独な老人死と言う言葉が昔流行ったが・・たぶんネット友が居たら・・そんな事は無いだろう・・。もし 病気になり・・起き上がれなくなり・・・一人で何もできないぐらい弱っても ネット友がいたら どうにかなる事もある。 

ネットのカメラもONにして 交信状態にしっぱなしにして 友人が見守ってくれる事だってできる。

いざと言う時は ネット友が救急車だって呼んでくれる。例えそのネット友が地球の裏側にいても・・自分の地区の医者、救急車を調べて連絡を取ってくれる。

でも ネット友は物理的に自分の部屋の中に住んでいる訳ではないので・・そのわずらわしさはない。確実に自分のプライバシー、プライベート区域は侵害されないで済む。

心を許せる 気の合ったネット友を得られるという事は ネット人間にとって大きな財産にもなり得るな~~ と思う。


2015年7月15日水曜日

見知らぬ土地

今は 自分の家に戻り・・・日常を過ごしている・・・。
ここ数年 何か月とかけて 色んな国々を訪ね回って来た。

そして 自分の日常に戻った時に・・又 頻繁に その自分の訪ねた国の画像・映像・情報に出くわす・・・。

そして それは 身近に感じてしまうのだ・・。

あの 自分の足で踏み入れた国が・・ 自分の肌でその場所の空気を感じ・・匂いを感じたその国は もう自分の魂の中に食いこんでしまっている。

そこで起きた事等が テレビやネットから流れて来ると 何か・・今もまだ 自分がそこにいるような気持ちになるぐらいだ。

反面 自分が足を踏み入れた事のない国のニュースや情報は それは 自分とは全くかけ離れた 無味乾燥な感しかない。 


どこであろうと・・そこは 地球上であり・・人間の生息する所であるから 同じであろうはずなのだが・・。

見知らぬ土地に足を踏み入れ・・自分の肺にそこの空気を入れ・・鼻孔から見知らぬ匂いをかぎ取り・・自分の魂をゆすぶる旅は・・・一生続けたいものだ。

2015年7月11日土曜日

Kiwihouse大改造

私の闇雲に突っ走ってきた Kiwihouseの宿のビジネスは 今は 息子の代に引き継ぎをして・・ 私は引退をしようとしている・・。

が・・もう20年も前から放りっぱなしになっている中庭は砂利が汚く散らばっているだけで・・なんとも貧相な様子・・。

って事で きれいにコンクリートで固めた。

コンクリート車がやって来た時は 作業のおっちゃん達は殺気が出る程エネルギッシュで・・怪物の様なコンクリ車は爆音を発していた・・。

でっかいKiwihouseの建物も化け物コンクリ車が横にくれば小さく見えるではないか!


長年 天窓が開かないのを付けられている部屋があった。 夏は暑い温度が逃げにくく・・サウナのようになる・・。 よって 天窓を開閉できる窓に換えて? とビルダーにたのんだら・・とんでもない大仕事になっている。

ちょっと2階の屋根に上って取り換えてよ~~ と言ったが そんな訳には行かないらしい・・。窓のサイズも違うし・・屋根のサイズやら 部屋の中の天井の修正、 そして プラスターと ペンキ塗りまで 色々手を入れなければいけないし・・。

屋根に上がるには 足場もつけないと危険なんだとさ・・。 と言う事で・・2週間以上かかって・・天窓の取り換え作業が行われている。

他にも シャワーの改造、 シャワートレーからシャワーの壁全部 換気扇取り換え。 とか 20年も前に建てられた水回りは 全部新しくする必要があった・・。

中庭のセメントを整える作業は男達がすごい血気でやっている。

きれいに仕上がったコンクリの表面に私のサインを刻んでいい?と親方に言ったら・・・
「もちろん!そのセメントは全部お前の物だ! 好きなようにやっていいよ!」 と嬉しい事を言ってくれた。 

セメントがツルツルに仕上げられた表面が固まる前に 私は自分の名前とその日の日付をセメントに書き込んだ。

朝の散歩 


クライストチャーチの街は 大地震の為に崩壊してしまった・・。
そして ユックリと・・ しかし 確実にシッカリとした タウンプランニングと共に・・・復興している。

古道具屋の店にあった写真。
昔のクライストチャーチの街は 1950年には こんな感じだったのか~~・・
と感慨深い写真だった。


クライストチャーチの街の象徴ともなっている大聖堂は崩壊したままで 改築は何も進んでは居ない。
が・・地震直後に日本人建築家のデザインで 別の代わりの大聖堂が建てられた。

ニュースでも騒がれ・・写真もたくさん見ていたので・・どんな建物か・・?は知っているつもりだったが・・実際に自分の目で見たのは これは初めて。

すべて! 段ボールの筒でできている・・とは聞いてはいたが・・これほどまでに 段ボールの筒が使われているとは・・・驚いてしまった・・・。 十字架も段ボールの筒だし・・。

寄付して貰うようにお金を入れる箱も 段ボールの筒

噴水も段ボールの筒でできている。

テーブルも段ボールの筒でできている。

建物は この馬鹿でかい段ボールの筒が繋ぎ合わせて作ってある。断熱もいいそうだ・・。

説教をする台も段ボールの筒。

合唱隊の台も段ボールの筒。

ステンドグラスが 教会の雰囲気を強く醸し出している・・・。

教会の外に出て 街をあるけば・・クライストチャーチは頑張っているな・・・と思う。


クライストカレッジの建物の壁に見た壁画。

花火大会の夜

その日は 年に一度の花火大会の夜。

人出は大変な物で・・ もう 花火見物の近くの道路となると・・満員電車の如く混み合ってくる・・。

そこにノロノロとではあるが・・車が入って来ている・・ できるだけ花火見学の近くまで車で乗り入れようと言うヤカラだ・・。

道路を歩いていた 若者が 突然 その車のバンパーを叩いて・・
「ばかやろ~~!」と 叫んだ・・。 つまり こんな 人ごみに車なんかで乗り入れるな~! と言っている。

すると やっと 車を道路脇に駐車したと思ったらその運転手もまた 血の気の多い若者・・彼が 私と元夫の目の前で その彼のバンパーを叩いて 罵った若者に飛び掛かったのだ・・。

そして うちのめし・・道路に倒れて抵抗もできないぐらいな勢い。 でもそれでも殺してしまうぐらいの勢いっで殴る蹴るの暴行を続けている・・。
突然 我夫はそれを・・止めようとしている・・。

回りには 満員電車の中の様な多くの人がいるのにも関わらず・・その様子を誰も止める人は居ない。

我元夫が 飛び掛かったのも 一瞬の事だったし・・。 運転手がドアから降りてきて バンパーを叩いて罵倒した男に飛び掛かったのも一瞬だった・・。

私は泣き叫びつつ・・元夫の体にぶら下がりつつ・・彼の行為を止めた。

運転手の若者男の行動にどうして 他の人達は止めないのか・・?

なぜに60近くにもなっている元夫が 止めに入らなければいけないのか・・?

バンパーを叩いて運転手を罵倒した若者、 切れた運転手、 運転手の人を殺してしまいそうな勢いを止めに入った元夫、 それを止めようと 元夫の体にぶら下がって止めようとしている私の 4つドモエの様が・・・ なぜか 今 思い出された・・・。

目の前で起こった事を無視することはできない性分の彼なのだ・・。

彼に出会うまでは 私のほとんどの人生は親と絶交の状態だった・・それを・・・
「Noriko お前の為にも その状態はよくない・・ 俺が一緒に着いて行ってあげるから日本の親に逢いに行こう! 会うだけでいいのだ・・」 と言ってくれた。 そして 実行してくれた。

彼の息子は十代前半から麻薬漬けの人生。 タイの国に住み・・麻薬の為に 莫大なお金を父親の彼から脅し取りの人生だった・・ 

しかし 元夫は 仕事を引退して・・ 彼が父親として真っ向から麻薬漬けの息子と向き合わなかった長年のツケを 取り戻すため・・・父親業に本腰を入れた。

それを知った 彼の息子は タイで大量の麻薬で自殺してしまった。自分の父親にかけた迷惑をこれ以上にしたくない・・と言う意味だったのかも・・? と私は思っている。

元夫は 息子と真っ向から向き合ってやるには Norikoが俺の傍に居ては危険だと・・と言っていた・・つまり それが 私と元夫の離婚のきっかけになた・・。

父親の相当の覚悟だったのが 息子にも通じたのだろう・・。

今は77歳になり・・膀胱癌で体が半分になってしまった元夫。 それでも彼の生き方はいつも 頑固なまでに 一本筋が通っている。 

彼のその魂は今も脈々と続いている様に思う。